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May
24th
Fri
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「誤った直感は、その多くが『偽装をした願望』なのです。何かをあまりに強く望んでいると、その通りのことを直感した、と勘違いすることがあるのです」

「ツキ」の科学 運をコントロールする技術 / マックス・ギュンター (via highlight)

ただ、その感覚にしたがったけっか、うっかり自己実現しちゃう人もいますからねえ

(via kotoripiyopiyo)

(via kotoripiyopiyo)

May
20th
Mon
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今日、行きつけのお店で同じ店の常連さんに「絵画展になんで絵を見に行くかわからない」と言われました。

曰く、「写真で見たって、ネットで見たって一緒じゃないか。ましてや、それを高い金出して買うなんて、本当にわからない。その辺、絵画好きな人に聞いてみたいので教えてほしい」というわけです。

別に絵画大好きということもないし、絵画を購入したこともない私になんで聞くのかよくわからなかったのですが、相手もまだ若い方だし、あまり真剣に聞くもので、私も真面目に答えたものです。

「絵画には筆致(タッチ)というものがある。長い時間をかけて画家が描き、またそれ以上に長い時間をかけて今に伝わる絵画はまさに生き物。写真では、その生きザマがよく見えない。絵画を見るなら写真で充分だが、絵画を感じようと思えば、やはり生で鑑賞したい。それと、絵画は時の経過と共に価値の下がらない稀な投資物件でもある。所有するステータスと共に、ノブレスオブリージュの意識の高い欧米では、富裕層が絵画を所有し守ることが文化財保護の仕組みにもなっている」というような説明をしました。

一通り説明したはずですが、相手の方は納得しません。

「見ることと満足を感じることは手段と結果で同じ線上だ。絵を見て満足するなら、それがコピーでもいいはずだ。投資というなら、もっといい投資がある。文化財保護っていうが、結局は物欲の結果であって奇麗事だ。やっぱり絵画の現物をありがたがる気持ちがわからない。言葉は悪いが、スノップの言い訳としか思えない」と食い下がります。

私もどこかでおかしいなと思いながら、返答します。

「現実に本物を見ればわかるが、現物と写真とではまったく色の深みが違う。理屈にはしにくいが、存在感と言ってもいい。投資というのは目利きが大切だから、絵が好きな人が絵画を投資の対象にするのは極めて安全な選択でもある。金の使い道を持て余す富裕層の所有欲を利用することで文化財が保護できるシステムは実利的だ。それがどのような動機であれ、現実に絵画は人々にありがたがられる存在に違いない」と説明しつつ、だんだん私が絵画愛好家の代弁者になっていくさまに、いささかアホらしさを感じました。

結局、アホらしいと思った私の方から、「あなたが絵画の価値に納得していなくとも、絵画に価値があることに変わりがない。あなたがわからない価値だからといって、価値がないわけではない。ただ、あなたが価値を見つけられないだけかもしれない。だから、わからないと思う価値に出会ったら、人に聞く前になにがいいのか価値を探してみたらいいと思う。あなたがわからない価値であっても、他の人には大切なものかもしれないので、くれぐれもそれを踏みつけにしないように」と話を切り上げました。

相手の彼は、それでも「私を納得させられない程度の価値に、絶対的な価値があるとは言えない。誰かの価値観を踏みつけにしているつもりはない。ただ、私は私にわからないものが存在したままなのが嫌いだ。そう言わずぜひこのまま議論してほしい」とがんばっていました。もう充分彼の質問の意図が見えた後でしたので、私はそれ以上その話題には乗りませんでした。

こうなっては、「わからないと言う以上は、わかりようがない」

それが彼へのただひとつの答えだと思ったのです。

結局、彼の質問は「○○がわからないから教えてほしい」と言いながら、「○○をありがたがるなんて、気が知れない」と言いたいだけなのでしょう。

「教えてくれ」と言いながら、すでに「んなもん気が知れんわ」という答えは心の中に確固として存在しているのです。ですから、聞かれた方がいくら言葉を尽くして説明しても「なるほど!」という答えが返るはずがありません。

それは、「議論しよう」と持ちかけながら、その実は論争を楽しもうとする姿なのです。

相手が自身の価値観に揺らぎを見せれば、折伏した勝利者としての自らに満足し、相手が言いよどめば、相手に無知の知を知らしめた自らに満足し、相手が激すれば、なお冷静な論理を紡ぐ自らに満足し、相手が降りれば、ゆるぎなき鉄の価値観を持つ自らに満足するというわけです。テーゼとアンチテーゼから昇華したなにかを得ようとする姿を借りながら、相手の答えが曲がらないかぎりは自らの答えをけして曲げる気がない、堂々巡りの価値観の剣闘です。

そんなことを思いながら、「わからない。なぜ?」と聞く前に、本当に自分にその答えを聞く気があるのか、そこを自問自答したいものだとじっと手を見ました。

具体的に話題にした彼には申し訳ないのですが、今年に入ってそういう問答が何度も私の身に降りかかったもので、いい機会と記事にしました。

「いい大人が、アニメやゲームやフィギュアになぜあんなに熱中するものか、わからない」というような、理性の皮を被ったオタク叩きの記事を見るにつけ、私は思います。

「本当はわかってるくせに。そんなことわかりたくもないと思ってるってこと」

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1.「○○な話なんですけど」という出だしで話をセットアップする

 「めっちゃ、驚いた話なんですけど…」
 「そこまで気を使わんでエエよって思った話なんですけど…」

 よく木村祐一さんやほっしゃんさんが、こんな出だしで話しはじめるのを聞いたことがないでしょうか。出だしでは、オチの出来事の感情だけを切り取って、「○○な話」と先に話してしまうのがポイントです。

 え!そんなことしたら、オチも見えてしまうし、ハードルがあがるんじゃ…?
 いいえ。そうではありません。
 ハリウッド式の脚本の技術を学ぶとき、はじめに叩きこまれるのが、この「セットアップ」という技法です。聞き手に「これは何の話か?」としっかりほのめかすことで、期待と予測を正しい方向に案内するのです。

 つまらないと感じる話や映画・ドラマを見ていると、「この話はどこに向かっているんだ?」「あれ、思ってたのと違う…」と感じてイヤになることはありませんか?これはセットアップができていない証拠です。
 話は、ほどよく抽象的にセットアップしましょう。


2.「V.A.K」をその場にいるかのように体験しながら話す

 面白い話には、共通点があります。
 それは、目の前にその出来事が実際に起きているかのような「臨場感」があることです。

 学校の話を聞いていると、本当にその学校にいるような感覚になったり、ヤンキーにからまれている話を聞いていると、手に汗を握ったりします。

 「臨場感」を感じてもらうのに大事なのは、次の3つの感覚を釣り上げる表現を使うことです。

  • 視覚(Visual) … 目で見える情報
  • 聴覚(Auditory) … 耳から入ってくる音・セリフ・擬音
  • 体感覚(Kinesthetic) … 体で感じる感覚

 たとえば、小籔千豊さんが「ポニーテールのちっちゃい宇崎竜童みたいなオッサン」(Visual)と言うと目の前にありありとその人物が浮かんできますし、擬音マジシャンの宮川大輔さんが「腐ったカレーの入ったフライパンをスナップをきかせて”ゆんっ!”っと投げた」(Auditory)というとその場の状況が伝わってきます。


3.「メラビアンの法則」を活用する

 私たちは、コミュニケーションにおいて大事なのは「言葉」だと思っていますが、実はそうではありません。

 言葉は「伝わりやすさ」に、たった7%しか影響を与えておりません。
 悲しいことにほとんど、聞かれていないのです。

 「え!じゃあ何が大事なんだ?」
 アメリカの心理学者アルバート・メラビアンの研究によると、「伝わりやすさ」に影響するのは、言葉が7%、口調や話の早さなどの声のトーンが38%、身ぶり手ぶりや顔つきなどのビジュアル情報が55%となっています。
 かんたんにいえば、ボディ・アクションが大事なのです。

 ダウンタウンの松本人志さんは発想が面白いのはもちろんですが、この「メラビアンの法則」の使い手でもあります。立ち上がって身ぶり手ぶりをフルに使って、額に汗をかきながら話すその姿は、私たちをその場にワープさせてハラハラドキドキさせるのです。


4.オチまでは、絶対に笑わない(絶対に!)

 面白い話を人に話すときに、ついついやってしまうのが、
 「いやぁさあ(フフッ)、この前おもしろい事件があってさぁ(プププ)」
 と笑いながら話してしまうことです。
 (私もよくやってしまうのですが…)

 逆の立場になるとよくわかりますが、まだ面白い部分に到達していないのに笑いながら話されてしまうと、聞くほうは「何が面白いのかわからん!」と、興ざめしてしまいます。

 笑うのは最後です。
 そこまではポーカーフェイスを徹底し、風船をふくらますかのようにフリを吹きこんで、「いったいどうなるんだ!」とハラハラさせて、最後にBANG!です。


5.フリとは「モヤモヤをつくること」

 フリ(伏線)をどのように設計したらいいかわからないことがよくある。
 「オチの反対をフリ」のようにいう人もいるけど、それだとオチが予測できてしまう。

 フリとはモヤモヤ。「ん?どうなるんだ」という疑問を、聞き手にわからないように提示していく作業である。言い換えれば、全体像がわからないギリギリまで、ジグソーパズルを組み立てていく作業と言えるかもしれない。

 千原ジュニアさんが以前した話で、こんなのがありました。
 「お寿司屋さんで、カップルがいたんですよ。男のほうがすっとプレゼントを渡して、女のほうが、えー開けていい?って聞いてあけはじめたんです。大きな箱をあけたら、さらに、きんちゃくポーチみたいものが入っていて、中を見た女の人が”えー!超うれしー!すごーい、カワイイー!”って言ってるんです。その女の人は、お世辞とかじゃなくて本当に喜んでる感じなんですよ。えーなんやろ?いったい何が入ってるんだろうと思ってドキドキして横目でみてたんです。」

 もうモヤモヤがたまらない。ジグソーパズルがどんどんできていく。
 この後に最後のオチが来て、ビッグ・フィニッシュ。


6.ダメ押しで相手に疑問をなげかけて「?」をつくり、落とす。

 最後の最後までできあがって、十分にひっぱりきったなら、
 「その後、何が出てきたと思います?ビックリしましたよ。(オチをいう!)」
 これでビッグ・フィニッシュ。

 オチは最後です。オチは倒置法でいいましょう。


居酒屋や学校で盛り上がるレベルには、なれる。

 そうはいっても、むずかしい。これがすべらない話。
 実際はこんなに単純ではなくて、もっと高度な技術があったり、キャラクターが大事だったり、言葉のセンスやいろいろな要素が関係するのだろう。

 でも基本がわかるだけでも、すこしはマシになる。
 居酒屋や学校で盛り上がるレベルにはなれる。

 ビジネスの現場では、一番大事なことは、一番はじめにいって、モヤモヤなどつくらない。社会人をやっていると、知らず知らずのうちに、こういう話し方に慣れてきてしまうので、話がつまらない。すべってしまう。

 「すべらない話」を話そうと思って気がついたのは、だれかを楽しませようとあれこれ練るのはとても楽しいことだいうことだ。日常生活を生きていて、面白いネタにであったら、ストーリーを考えてみるのも面白いことかもしれない。

May
5th
Sun
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May
1st
Wed
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非生産的な人が陥る8つの習慣
(1)食事を抜く
(2)休憩を取らずに1日働き続ける
(3)無計画に生活する
(4)電話やメールなどに気を取られる
(5)一つ一つのプロジェクトに部分的にしか集中しない
(6)人生の細かな事を行うのに必要な時間を考えない
(7)マルチタスク
(8)目標を立てない
Apr
25th
Thu
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俺が嫌いなフィーチャーに「水属性は炎属性に強い」「木属性は炎属性に弱い」とかがあって、こんなのもうルールの為のルールでしかないんだけど、それを押し通せる分ファンタジーは便利で、便利だから遊ぶ側としては惹かれない。でもマスを目指すとその判りやすさは重要で。しかしマスを目指すとフックが弱いという面倒さ。

 ここはかなり頭を悩ませるし、例え成功事例があったとしても、それは「だから成功した」のか「別の理由で成功した」のか、判断が困難。

 FPSとか俺大好きだったんだけど、リアルな絵と世界をあそこまで用意しても、電気ショック一発で死亡から体力MAXによみがえるのがゲーム性としては面白いので、その辺の葛藤はある。リアルは面白くないが、リアルでないと面白くないので、この辺のスキマのツメかたが技術。
Apr
22nd
Mon
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プレゼンで大事なのはだらだら話さないこと。情報を圧縮すること。取捨選択能力、文章構成力、キーワード力をフル活用して、長い話も1分にまとめる。具体的な時間配分も推奨されている。

疑問を投げる (15秒) 興味 何だろう?
結論を述べる (10秒) 驚き へぇ~
理由を説明する(35秒) 納得 なるほど!

これがコクヨの1分間プレゼンテーションだ。1分間で話せるのはおよそ原稿用紙一枚分の400字。1つの文章が30~50字だとすると5秒の文章が12個言える。だから12の文章を考えればいい。

コクヨの1分間プレゼンテーション - 情報考学 Passion For The Future

これ面白そうな本だな〜。興味あり。

(via fujimotta)

(via mitaimon)

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 鬱病にもつながる学習性無力感には確立された治療法があるという。非常に簡単なタスク、例えば窓を拭くとか封筒をなめて閉じるとか、そういうタスクを患者に与えて小さな達成感を積み上げていくというものだ。ソフトウェア開発者は、ユーザーに極力コントロールの主導権を与えて小さなタスクを確実にこなせるよう配慮することで、「人を幸せにする」ことができるのだという。
Apr
15th
Mon
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なぜフランス革命は失敗したのであろうか? 「民衆を貧困から救いだそうとしたからである」  これがアーレントの回答である。  彼女によれば、貧困問題を解決しようとする革命は(すべて)失敗する。
Apr
12th
Fri
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例えば年間52週完全週休2日有給計20日でいくら、という契約があったとすれば、それは年間260日の稼働日のうち、稼働率92.3%(=240/260)を維持しろ、というSLA付き契約ということである。ところがそれを「働かないのに給料がもらえる」と発想するなら、稼働率100%が前提なのである。

「稼働率100%なんて当たり前だろ」と思う人は、稼働率を保証することの難しさを全く知らない馬鹿だ。

高可用性システムをいくつもやった経験から言うと、稼働率をあげるには桁外れのコストがかかる。年間稼働率99%(=3日強のダウンタイム)を保証するのは難しくない。ところが99.9%(=年間8時間)にするには素人がその辺のマシンで、では全く無理。専用データセンターなりホットスワップ可能なRAID構成のハードディスク、即応のための体制や予備機など10倍近いコストがかかる。99.99%(年間1時間以下)には、HA構成のサーバ群が必須で、これが手間やら運用ノウハウがかかる上、ハードやソフトもべらぼうに高い。

人間よりはるかに連続稼働が簡単なコンピューターですらこれである。人間が稼働率100%を維持するというのがどれほど大変か。もちろん「偶然にも」稼働率100%を実践できることはある。しかしそれは所詮偶然に過ぎない。だからこそ余裕を持ってリソースを確保して行かなければ、不慮の自体に対処できないのだ。それをせずに何か起こるのを「稼働率が高くないから悪い」というのはずいぶん甘えた発言だ。